動き出す
まだここが使える。
それは非常にありがたいことだ。
最後の投稿から、3年以上が経過。
まさかその後、誰かに読ませる文章を書くようになるとは思わなかった。
人生は本当に何が起こるかわかったもんじゃない。
コロナの件もそうだ。
こんな世の中になるなんて、年明け早々は思いもしなかった。
中国では、年明け前にcovid-19ウィルスについて認識していたようだが、誰がソーシャルディスタンスな世の中を想像できただろうか。本当に一寸先は五里霧中だ。
4月7日の緊急事態宣言を受けた次の日から、自分はとにかく引きこもった。
1月末より、新球団・琉球ブルーオーシャンズと、昨年から担当するロッテの取材のため沖縄へ。その取材あれこれが2月29日に終了し帰京。疲れた体を少しずつ稼働させながら、プロ野球開幕と新たに入る番組へ向け、心身の準備を整えていたが、その矢先の緊急事態宣言。予定は大きく狂った。
3月下旬の段階から「いずれは外出禁止令が出るのでは」と、予想はしていた。そこまで厳しい制限ではなかったが、宣言を受け、初めていた新担当番組での研修はわずか2日で休止が決定。決断早いよ、N○K。
そのあと、正直、何もする気が起きなかった。
ただ「何かしないといけない・・・」と、慌てることもしなかった。
自分が「動きたい!何かやりたい!」という気持ちになるまで、とにかく待つことにした。要するにサボったわけだ。
最初の2週間は、体調が優れなかったこともあり、病気を持っている前提で行動。
部屋からほとんど出ず、家族と生活時間帯を変え、接触どころか極力会話もしなかった。
完全に引きこもり。
やりすぎて、さすがに怒られた。
4月の後半あたりから、料理を始めた。
やるまでは億劫だったが、始めてみると楽しくなった。
ホットケーキミックスが、こんなに買えないなんて、誰が想像できただろう。(誰も想像しないよね)
料理は楽しい。揚げ物とかもやってみるとできるもんだと気づけた。
ただ、これが義務になると途端にしんどい。
「何を食べよう。何を食べさせよう」とか、毎日考えるのが本当にしんどい。
これを仕事をしながら毎日やってきた母親の偉大さを、改めて思った。お母さん、本当にありがとう。
5月7日に緊急事態宣言は延長。
この辺りから、月末での解除に向け、少しずつ動き出すことにした。
ただ、やってみて思ったが、自分は家ではどうしても仕事ができない。スイッチが入らないのだ。
そこで、机に向かう場所を改めて作った。
改良の余地はあるが、自宅に自分の気持ちを切り替える空間を作ることができ、重い腰がようやく持ち上がった。
実際に仕事はないが、まずは新しい仕事に向けて、知識を入れることを改めて始めた。
MLBの記憶はかなり昔で止まっている。
プッツという投手が、リリーフをやっていた時だから、かなり前のことだ。
「プッツがプッツン!」と原稿を書いて、アナウンサーの方に読んでもらったことを思い出す。
その方も、他にご一緒に仕事をさせていただいた解説者方々も、何人かは鬼籍に入ってしまった。時間は経っているんだ。
過ぎた時間は戻らない。
何もしなかった時間も戻らない。
ただ、いつからでも始めることはできる。よね?
プロ野球は6月19日の開幕を正式に発表。
よほどのことがない限り、その予定は動かさないだろう。
担当番組の予定がどうなるかはわからないし、実際に局の方針が話し合われるのは、明日以降だろう。
この期間、動いていた人たちからは、一ヶ月ほどの周回遅れとなっているが、できることに向け、動き出そうと思う。
戦力外通告
昨年から薄々感づいていたが、どうもそういうことらしい。
毎年、プロ野球選手たちの何十人かは、9月に球団から言い渡されるわけだが、こういう気分なのかと改めて実感した。
いろいろあるなかで一所懸命、しのいできたつもりではあったが、結果がともなわない事業に投資はできない。ベンチャーらしいさっぱりした結論である。
ただ、個人としては束縛から解放されるとも考えられるわけで、年齢を考えると不安なことも多いが、ワクワクしている気持ちもある。
即座に出て行け、に近いことを言われてショックはショックだが、取引先との手間、そういうわけにもいかないので、シーズン終了までの時間で、身の振り方を考えていきたい。
「人はわかりあえる」とララァは言っていたが、この4年で思ったのは「合わない人とは、いくら歩み寄っても分かり合えないよ!ファックファック」ということ。
途中下船となるであろう現状は、寂しいですが、荷を降ろし、軽くなった船が沈まないことを、対岸から願っております。
さ、次だ次!
庵野さん!もう、エヴァつくらんでいいよ!(褒め言葉)【映画「シン・ゴジラ」について】
「いやー、おったまげた」正直な感想だ。
CMを観たときから、かなり期待していた「シン・ゴジラ」
その期待を良い意味で大きく裏切ってくれた。
凄すぎたので、1度目観終わったあと、すぐにチケットを買い、10分後には再び劇場の中にいたくらいだ。
語れるほど多くの映画を観てきたわけではないし、特撮ものにしてもそうだが、今回のシン・ゴジラには、重々しいほどの圧倒的リアリティに溢れかえっていた。
ポスターのキャッチコピー「現実(ニッポン)」対「虚構(ゴジラ)という図式だが、虚構の存在がまさに今、現実のものとなったときに何が起こりうるかを"真"剣に突き詰めているように思えた。
先の大震災と熊本の地震で、日本人の大半は現実世界が、突如理不尽に破壊されることを体感している。
かつてゴジラが作られたときよりも、社会的メッセージは人々のこころに強く訴えかけるのではなかろうか。
「特撮」という、「娯楽映画」の枠を超え「ヒューマンドラマ」として、秀逸な映画だと感服した次第です。
ただ、庵野監督がこれまでやってきた数々の作品があることで、セルフオマージュ的な要素多々が見受けられたり、もともと構図にこだわるようなところ(他の作品からの"オマージュ"なども含む)が、この作品に山椒的な役割を果たしており、肩の力、力みっぱなしで見るという感じではなく、「娯楽作品」としても楽しむことができたのは、庵野監督と同時代を歩んできた役得なのかと思う。
惜しむらくは自分自身が、ゴジラ自体に対して、深い思い入れと考察がないこと。
これがあれば、今回のシン・ゴジラについて、もっといろいろ思うのだろうし、もっと喜びをもって作品と向き合えたかもしれない。
【追記】
もともとCM以外の予備知識ゼロで観たのですが、リアリティに関してはあらかじめ周知されていたことだったのですね。あーはずかしい。
ゴジラ自体の存在感や、破壊され尽くす東京(&川崎)の街、引き画を多用することによる、観ている側の可視感(TV中継的なもの)など多々あるが、やはり出演している俳優たちが「ゴジラ」の存在を「リアル」に感じ、破壊されていく日常を現実のものとして受け止めていたからこそのあの世界観が、観ているほうの意識に現実としてシンクロしたんではなかろうか。と書いてから整理がついた次第。
ちなみに「武蔵小杉」での攻防に「慣れ親しんだ街がぁああぁ」と、泣きそうになりました。
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急遽MCR観劇。相変わらず面白い。抜群に。
信念をもってそこに踏みとどまり、覚悟と執念をもって続けるものだけが、賛辞を得る資格が持てる。
芝居に限ることではないが、最近特にそう思う。
ただ、人の歩むペースは人それぞれ。
身がなくなる直前に気付ければ、それもまた、いいと思う。
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「完全無視」って、逆に意識されているってことなのだろうか。
この手の人ってほんと面倒くさい・・・。嫌いならほっときゃいいのにね。
きにするだけ馬鹿みたいなんだがね。
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きょうは、感動と失望が同居する空間を目撃しました。
最後まで勝利を目指し、やれることをやるという、その覚悟を目の当たりにして、心が震えていた私ですが、その横には・・・。
人間ですから、みなが同じ考え方で進むということは、現実的ではないかもしれませんが、普段の意識の中で同じ方向を向いて戦っていくんだという気持ちがないと、やはり、その組織は戦っていけないのではないのか。
若い世代との価値観のズレと言ってしまえばそれまでだが、目の前で真摯に取り組む姿勢を見せられても、変わらないのには開いた口が塞がらなかった。
こりゃ、ちょっと無理だな。