milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

大事なことを忘れていました。

今日の夕方のニュースにて、福知山線列車事故の続報が流れていた。とうとう、死者が100人を超えてしまった。乗客5人に1人が亡くなられていることになる。報道に寄ると殆どの方が即死状態だったということだ。遺族の方々にとって、亡くなられた方々が戻ってくるわけではないのだが、その事実はせめてもの幸いとなっているかたもいらっしゃるであろう。
そして、今日、運転士と見られる方が遺体で発見されたとも報道されていた。このニュースを最初に知ったときに書いたが、彼にとって、生きて苦しい思いをするよりかは、良かったのかもしれない。ただ、死んでしまっていいことなんて、本当はありっこないとも私は思っている。矛盾しているのであるが。
何を忘れていたのかというと、この番組でインタビューを受けていたある遺族の方のコメントに心を打たれたということだ。忘れていたというより、書くタイミングがなかっただけなのだが・・・。
この事故で伴侶をなくされた中年男性の方なのだが、こみ上げてくるさまざまな感情を飲み込んだ上で、極めて冷静にコメントを発した。
「なにもかも緩み切った社会が引き起こした事故」だと。
だから、特定の誰かを責めてみても始まらないのだと。安全に運行するという交通機関の基本認識についても、40mのオーバーランを8mと申告してしまう体質も、遅れを挽回するためにスピードを出しすぎてしまうことも、また、それを許してしまう組織、それを促す環境、その全て・・・。
緊張感のなくなってしまっているこの社会が悪であるならば、日本国民全てにこの原因があるということになる。子供をしつけられない大人達、そのことに甘えつづける子供達。成熟し自立した人間なんてもはやこの国には臨むべくもないことなのだろうか?
完璧なんて無理だろうけど、少なくとも、自己を管理することは決して難しいことではない。自分も含め、ラクをしてしまっているだけなのだ。
揺るんだ日常が揺るんだ人格を形成し、さらに揺るんだ環境を作り出す・・・。この悪循環から逃れるために、早期に就職し、独立しなくてはならないと再確認する運びとあいなった。実際、就職が遅れているためにモチュベーションは確実に下がっている。
今回の行くだけに関西遠征は自分への渇入れの意味合いが大きい。そこで気持ちを切り替え、怠惰な日常から脱却したる。したる。
話は結局、自分のことになってしまうのは悪い癖だが、日常の緩みが原因というこの遺族の方の見識は間違いではないと私は思う。
実際、今日も高速バスが運転手のハンドル操作ミスで転倒し3人が亡くなられているし、日比谷線広尾駅では、化粧を注意されたなんてことない普通(に見える)の若い女性が老女の肩を激しく揺さぶった結果、進入してきた電車にぶつけて重傷を負わせてしまったりと、そんなことが起きているのだ。
列車事故が大きすぎて、おそらくはすぐに忘れられてしまうんだろうが、あさって、高速バスにのる当方には堪ったもんじゃない。
化粧の女性も普通なら考えられないが、おそらくは最近の若い人にありがちな「興奮しすぎて周りが全く見えていない」という状態になってしまっていたのだろう。要するに「ヒステリー」。きっと、起こした事の重大さを認識するまで、かなりの時間がかかるのではないだろうか。
これでまた、車内モラルに対する年配者からの注意は減ってしまうだろうな・・・。もっとも、化粧にしろ、車内の地べたに座るにしろ、大声で電話するにしろ(あげたらキリがない)自分の欲求を優先して行動しているからであり、他人への配慮や客観的に見て堂見えているのかというものがあれば、やらないことだろうから、今の世の中は自己の主観こそが優先されるべき時代になってしまっているということになるのだろう。
他人への配慮や他人からの視線というものが「抑止力」として、公共モラルを引き締めていた時代ではなくなり、社会のいわば「ネジ」ともいえる他者目線がバカになって、社会が緩んでしまったということになると思う。
いまから「ネジ」を締めなおしても、バカになってしまっている以上、空回りするだけだ。となれば、接着剤でがちがちに固定するか、全く新しく買い換えるしかないと思うのだが・・・・。って結局また大きな話になってるよ。自己満足だよなぁ・・・。でも、そう思います!!