milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

ミュンヘン(2006アメリカ)

昼にマンガ喫茶を出て映画をみることにした。
スピルバーグの「ミュンヘン
劇場CMを見て「見てみたい」と思っていたが・・・
思い描いていたものではなかった。
説教映画ですな。
若い人はみたほうがいいと思うけど、年配の人がいまさら見るべきものではない。しかも、3時間だし。
実際の事件から作られたものであるということだが、そもそも、その事件自体を知らなかった(無学の)私には、事件自体のことは新鮮であった。
しかし、ストーリー自体は非常に都合のいい感じで進む。
大きな問題として、主人公がなぜ事件当時の現場の犯人側の視点映像を見ることができるのか。
精神が疲弊し妄想に取り付かれているということだとしても、ちょっと突飛すぎやしませんかね。SFでしたね。このあたりのところは。


そんなことよりも、一番思ったのが「特殊映像技術」についてです。
それの発展によって「実際に見せる」ことができてしまう映像が増えてしまった。
これは「想像力」という奥行きをなくしてしまうと同時に「リアル」に認識できてしまうことの危うさがある。
死体や銃殺、爆破などは「非・日常」であるから「実際に目にすること」はないのであって、それを「見せて」しまうことで「日常」になってしまう。
殺人やら死体やらが「あたりまえ」に見ることの出来る世界では、「平和な」(あるいは平和ボケした)日本では、「あってはならない」ことなのではないかと思う。
それが「日常」を侵食してくることで、精神になんらかの影響が与えられているのではないかと、時折おこる「理解できない」事件のニュースを見るにつけ、思うのである。
「趣」や「奥行き」のエロさ・・・懐古主義と言ってしまえばそれまでだが、やはり私は「アナログ」社会を望むのである。
最も、これは本編とはなんら関係ない感想であるが。(☆2)

追記

映画の内容について簡単に。
島国である日本人がこの映画の根本を本当の意味で理解するのは、不可能ではないかと思う。
われらは「単一民族国家」であるからだ(正確には違うけど)
私の正直な感想は「隣人にいきなり拳銃をぶっ放すことが正常だとは思えない」という、至極当たり前の感想だということです。
こんな理由で戦争がなくならないのなら、人間は滅んでいい。