milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

我想う、故に我あり

別れた後、自分のやりたいこと、やっていきたいことを考えた。結構いい年なのに停職につかず、借金を返済しながらも何故オレは芝居をやって行こうと思っているのか。1番は「自分が納得いく芝居を作りたい。納得いく演技がしたい」ということなんだがそれってどう言うことなのか。きっと、自分は演技と言うものに対してもっとストイックに突き詰めていきたいと思っているのだろう。普通に考えれば、自分が好きなこと(芝居)ができるだけで幸せのはずなのに、それでは満足ができないのだ。芝居というものは1人では当然成り立たない。舞台上では1人でもいいが、照明、音響、舞台などの演出効果を出すための装置を操作するスタッフも確かに必要だが一番はそこに『観客』がいないことにはエンターテイメントとして成立しないのである。その『観客』に満足していただくことが自分の目指す所であると思っている。「そんなこと当たり前」な話しなのだが実際にやっていくと意識は希薄になっていくものである。先出のバックバンドの人の話だとツアーにでると最初はいいが毎日、同じことをやっていると「こんなもんでいいだろ」みたいな感じになってくるそうだ。芝居でもよく「中だるみ」っちゅのがあって、中日の昼とか明らかに体調悪そうな役者とか見かけたことがある。付き合いとかで前日酒飲んだりすることは確かにある。自分達は何日かやっているかもしれないけれども、見に来たお客さんは『その日』しか記憶しないわけでそう言う意識をしっかりと持ってやることが木戸銭はらって見て下さっているお客さんにたいする礼儀じゃろう。常に初日。この心構えこそがプロとしての1つの心意気なんじゃないのかなぁと深く自分に言い聞かせるのであった。そして1つの役柄に対し常に探究し、日々向上していこうと言う意識をもっと持たねばならないと、自分は楽をしているんだとおもうわけである。日常から常に緊張感をもってこれからは生活していこうと勝手に決めた。なんだか凄く楽しくなりそうである。今年度は舞台に立たないと決めた私。それはいままでの芝居環境をゆっくり見極めることと自己の演劇に対する情熱を確認すること。そして心身共に演劇のために鍛え直すことを目標にしそれを実行に移す年している。4月に劇団東京乾電池の通年ワークショップオーディションがある。〆切りは今日で履歴書はもう出した。結果がどうなるか分からないがオーディションでは自分の情念をぶつけて来たいと思っている。そして、芝居のことに限らず、競馬でも、恋愛でもなんでも真剣にぶつかっていこうと思う。そしてその思いを今後も貫き通していきたいと、『人生此れ命懸けの論理』である。それが人間ってもんじゃないのかなぁと独り思う春の夜であった。