milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

言いたい砲弾

このところ読書づいている私である。今週はもっぱら福井晴敏さんの小説を読みふけっている。近隣の友人知人たちにはひたすら金がないとのたまっているのにも関わらず本を買っている。もっとも、言い訳がましいようだが古書ではあるが。
さて、この福井晴敏なるかたはどなたかというと、最近、CM打ち捲っている映画「ローレライ」の原作者である。
「宣戦布告」をわざわざ劇場で見るほどの戦争もの好きな私にとって、この人の小説は非常に好きである。
講談社から4部、のべ8冊の文庫本が出版されている。「終戦のローレライ」はまだ読んでいないいから分からないが、他の3部は全て同一世界で起きた話(要するに続き物)である。
進んでいく時間軸を追っていくさなかにどの作品にも共通して盛り込まれているテーマが2つある。
「戦後の米国主導の復興政策により骨抜きにされてしまった日本国というものに対して憂いでおり、国民1人1人が各々、国家の民であり、尊厳を持った人間であることをはっきりと認識し自覚せよ」ってことと「デジタライズされてしまった現代社会において、狭いコミュニティでしか自己の存在価値を見出すことのできない現状がさらなる都会の漂流者を増産しつづけているが、人間ってもんは本来、そんな淡白の生き物ではなく、赤く、熱い血潮が通っているもんなんだって気づきなさいよ」ってことだ。
もう、目からうろこが落ちそうになった。
実際になくなってしまったわけではないが、魂の抜け殻であるこの国に憂いを持っている人がまだきちんといてくれたことに感動してしまった。
小説にも書いてあることだが、日常生活に埋没しきった結果、平和ボケのこの国は北からミサイルが飛んできたという事実をもうすっかり忘れてしまっている。この国が真の「大人」になりえるためには「残酷な現実」を目前に突きつけられないと気づけないだろう。
学生時分から言いつづけていたことなんだが、現実に起こりうることだし、それによって自分がなくなってしまうかもしれないが、やはり期待するというのはいけないことなんだろうか。