milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

ユナイテッド93 2006:米

本編に入る前にまずは記憶をたどってみることにする。

あれから既に5年の歳月が流れていた。
2001年9月11日。
それを知ったのはバイトの休憩中であった。

いつものようにオリジナルマフィンをこさえての休憩室。
TVをつけた途端にその光景が目に飛び込んで来た。


「な、なんだこれは・・・」


正直、頭が認識しなかった。
するまで時間がかかった。


「とんでもないことが起きたんだ・・・」


ブラウン管の向こう側の光景は現実に起こった出来事とはとても思えなかった。
その時は"LIVE"だと思っていたので、俺がマフィンを食べようとしている正にその瞬間、多くの人が"あの中"にいると想像した時に吐き気を覚えた。


「あってはならないことだ・・・」


食い入るように画面を見つめている最中に2機目は突っ込んで来た。


声が出なかった。
涙も出なかった。
そして、その日の記憶はもう殆ど残っていないが、頭の中と胸の中で"なにか"がぐるぐるとまわっていたのだけは覚えている・・・

この映画は劇場CMを見た瞬間から「見なければ行けない」と強く思っていた作品であった。
そういうものをわざわざ大阪でしかも半ばデートで見るというデリカシーのなさに普通の神経の私が呆れるものの、それは居合わせた人が運がなかったと諦めてもらうしかない。そういう人ですから。


感想。
これは映画とはいっても記録映画だと思う。


もちろん、機内で起こった出来事に関しては遺族や関係者の話を元にして描いた想像に過ぎない。
しかし、そこに居合わせた人の心情というのは、おおよそそう言うものだったのではないかと思う。被害者も加害者も。


まず感心するのが加害者側の視点もきっちりと描かれていること。
これはともすれば、一方的なイスラム過激派批判ともなりかねないところを、加害者側も人間であることをみせることによって、「この世の正義とはなんなのか」と真摯に問うているように思えたのだ。


人、それぞれの上に太陽が登り、人、それぞれの中に神がいる。万物は全て平等である。
そんなことをどっかの教典で書いてると思う(あてずっぽう)が、そういうことを再認識させてくれるのだ。


たしかにテロ行為、大量殺戮行為は許されることではない。
しかし、その行為のみを悪とし、断罪するのではなく、そういうふうに成らざるえなかった人の心理を掘り下げ、理解することをしていかない限り、解決を見ることはないのではないかと思うのである。


ワカラナイものは恐ろしい。
しかし、ワカラナイままにしている限り、永久に知ることは出来ないのだ。


宗教の相違というもの、民族の相違というもの。
そんなものは見えているだけの情報に過ぎない。
ミテクレなんかにとらわれず、しがらみに左右されず、もっと、人間の本質をひとりひとりが見極めるよう心掛けていけば、こういう理解しがたい悲しい事件は起こらないのではないかと思う。


楽観視と言えばそれまで。
偽善者、博愛主義。いろいろ言葉はある。
しかし、そういうことではなくって、人間が本来もっている優しさや思いやりってものについて、もっと真剣に考えなきゃいけないと思う次第である。


大枠の話しはそういうことだが、もうひとつ思うのが「もし、そのシチュエーションになったら自分はなにをするのか」
そのままにしておけば、確実に「死ぬ」と分かっている状態で、自分なら何をするのか。


答はわからない。
そのときにならなければわからないが、きっと自分は"考える"だろう。どうすればみんなが幸せになれるのかを。
「死ぬ時は死ぬわい」と普段は言っているものの、いざ、その時が突然やってくればそれは恐いに決まってる。
しかし、その事実を受け入れなければ、おそらく次へは進めない。だから、助かる方法を考えると思う。


どうせ死ぬにしても無駄死だけはしたくないと思うのはやはり日本人の源流である武士(もののふ)の血なのだろうか。


そんなことをこのときは漠然と考えていたが、やはり、事件の事実の重みのほうがはるかに大きく、最初に登場人物が出て来ただけでこみ上げてしまいました。
「この人たちは死んでしまうんだ・・・」って。


劇中も悲しみ、怒り、哀れみ、寂しさ、いろんな感情が頭を、胸をぐるぐる巡り、とにかく"気持ち"が溢れてしまいました。
きっと、5年前もこうだったのでしょう。分別がつく今はなおさらです。


見終って外に出ると、そこにあるいろいろなものたちが違って見えた。
無性にノドが乾き、甘いものを欲するカラダがあった。
カルピス、タバコ、もらったガム。
その後行った串カツ屋のビールとどて焼き。そして串、串、串・・・。


「生きている」ということがこんなにもありがたいものであったと気付かされる作品でありました。


心の通っている人と見に行くべき作品だと思う。きっと。
中途半端な関係の人と行くなら、ひとりで見るべきだと思う。
それに、絶対にスクリーンで見るべきだと思う。


いろいろ書いたが、あれがあの日に起こったという事実を私たち、この時代に生きている人間はしっかりと網膜に刻み込んでおく必要があると思いました。(☆評価はできません・・・)