milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

ロウソクの芯

現在時刻は午後5時半を回ったところ。
少し前にサイレンの音がけたたましく鳴っていたのは聞こえていた。
先週で仕事はひと段落ついている私は、今日も会社で読書タイム(もちろん仕事の一環です!)。
いろんなことへ想いを馳せつつ、少しばかりウトウトしていた。
同僚に買って来てもらった「オトナ風味」の珈琲(なぜかアイス)をすすりながら、この後のことをいろいろ思案していたところ・・・



「救急車、このビルだって」
とデスクの子が言う。
ビルの下を見ると消防車やら救急車やら5、6台が車止めにひしめいている。
「まるでマンガだよ・・・」
これが私の率直な感想だ。
このビルでなにかが起こったとしても、当事者でなければ他人事になってしまう。
デスクの子によると、深刻な事故が起こったらしい。ひょっとするとどなたかが亡くなられたのかもしれないと想像できる情報だ。
しかし、社内の空気はやはり「他人事」
それはそうだろうな。と思う。
でも、同じビルで人が死んだとなると、それは気持ち悪いという感覚が残る。
宿泊も多い私とてはなおさらだ。
気持ち悪いので確かめにいった。やじうまといわれればそれまでだが・・・。


玄関につく。やはり入り口には消防車。
「消防車?」
真っ先に思いついたのが「火事」なのだ。
大それたことなら場内に勧告とかでるだろう。
しかし、その意識(慢心)が大事故を呼んだ経験は今までも数多くある。
そういうこともあって、1階に下りたのだ。


しばらく人の様子を見守っていると、そんなに緊張感は感じられない。
そこで一応安心する。
もし仮に「なにか」が起こっていればこんな雰囲気ではないはずだからだ。
そして、たまたま事故当事者が担架で運ばれていく姿を目撃できた。
意識はあるようで、救急隊員の質問に答えている様子。
とにかく、助かったようなので良かった・・・。



こうしている間にもみなの上で日常という時間は流れる。
そのなかで平穏無事な人もいれば次の瞬間、火の中へ飛び込まなければいけないような状態になる人もいる。
クリスマスが終わったが、この2日間でともされたキャンドルの火。
眺めるのには心洗われ、安らぎをもたらすかもしれない。
しかし、その芯に触れてみれば、当然火傷する。
立場が変われば考え方、感じ方も変わるという、当たり前のことを改めて認識した事件でした。



外は大雨。
気温も人の心も冷え切っている都内某所の夕刻のできごとであった・・・。