milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

トリコ劇場 #002 「つみうみ」in 千本桜ホール(学芸大学駅)

まいった。暗い。基本テーマが暗い。わたしは暗い話は嫌いなんだよぉ〜。それだけでテンション下がっちゃうのだ。カックン。全体を通して結局は言いたいことが良く掴めなかった。好意的に見るならば「姉」であるアル中の女の幸せさがしとその姉に対してかなり屈折した愛憎を持つ「妹」との関係性、その渦に無理矢理巻き込まれてしまった先住人たちの話しで人にとって「本当の幸せってなんだろう?」と世に問うているんじゃなかろうかと解釈できる。ただ、焦点がかなりぼんやりしているように思え、「もっとスパって言っちゃいなよ!」とイライラしてしまった。
ただ、役者は好演していた方が多かった。とくに「アル中の姉」を演じた中村貴子(フリー)の演技は出て来るだけで観客を惹き付ける『なにか』を身体から発散している。前回は自分の娘であり、主人公であった彼女は、客席から見るとこういうふうに見えるのかと驚くと同時に物凄く嬉しくなった。自分が他の役者に対して、こう言った感想を持つことは極めて稀なことであり、ひょっとすると彼女は"本物"かもしれない。だから最近、客演の話がいくつかあるのだろう。次は"play-unit fullfull"って小劇場ではちょっとは知れた劇団に6/30〜7/4、下北沢のoff offシアターってところでやってますんで、気の向いた方は是非どうぞ!
と、人の宣伝している場合ではない。今回のトリコの芝居に戻る。正直言って中村が出て来るまでたるくて仕方なかった。たしかにいい芝居をしているかたはいた。だが、何かが、決定的な何かが足らなかったような気がする。この芝居で"芯"あるいは"核"となりうる役者がいなかったからだ。ストーリー上と言うことではなく、周りを引っぱりあげる、あるいは観客を乗っける力。これは「演技力」ではなく「役者力」って言えるんじゃあないか。存在することがもうすでに「役者」であること。たたずまいでそう思わせてしまうようなそんな形容し難い「なにか」。
今まで私が欲してやまなかった「芝居」とはそういうものなのかとハッキリと知覚、認識した。
とにかく、また、彼女と芝居がしたい。今回の感想はそれにつきます。普段はドジな普通のさえない女の子なんだけどねぇ・・・