milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

東京ネジ 旗揚げ公演「東京ねじれ」in 王子小劇場

先月のアネットの忌わしい記憶を拭い去ってくれることを願いつつ観劇。正直言ってまどろっこしかった。前半部で飽きてしまう。人間の「ねじれ」ってもんを表現したかったのだろうが、2ケ所で同時に別の会話をしてしまうと見ている方はどこを見たらいいものか苦慮してしまうし、なにより、台詞が理解できない。聞くことが困難になる。これではお話の焦点がぼやけてしまいやしないかなと思うわけですよ。みていて疲れてしまうし。
ただ、好意的に解釈していくと、奥行きがあっておもしろい見方ができる。前半部分は確かにごちゃごちゃしてしまっているが、後半へ行くに従って、お話の焦点が明確になっていく。まるで濁っていた水が徐々に透き通っていくように。
本当は単純なことなんだが、人間ってもんは社会生活の中でいろいろなしがらみがあって、なかなか、真実へはたどり着けない。そんな、この社会のことをちょっぴり考えてしまった。たぶんそんなことが言いたかったのではないだろうが。
ラストまぎわの双児の会話(この劇団の主催は双子さんなんです)のシーンは凄く、純粋で綺麗でした。まるで澄み切った水のよう。
ただ、やはり、ここまで付き合わなければ行けない観客としては、そこに行き着くまでに緊張の糸が切れてしまう。そこがもったいない。観客からの不必要な笑いが多々あったのが残念だ。ストーリーをしっかり追っていればそこは笑うべきシーンではないところでおきる笑いは、明らかに、観客の見る姿勢がまっすぐでない証拠であると思われる。ホント残念。
役者に関して。この作品、男の人がひとり出ていたのだが、終始、女言葉で話していた。これが非常に鼻に付いた。きっと、演じている彼の中にある「違和感」が最後まで消化できなかったからだろうと思う。不自然だった。もちろん、これには作者の明確な意図があってのキャスティングで、最終的には「なるほど。面白い!」って思えるのだが、それを伝えるためには、彼が本当に「女性」になっていなければ行けなかったのだと思う。前半部の不快感は主に彼の演技体であったので、本当、ここはもったいなかった。多分、意味分からなかった人が多数いたと思う。
難しいのもいいのだが、考える力が低下している現代においては、分かりやすさも重要であると思う。急激に思考させるのではなく、なんとなく、頭を使うようなものにしていかないと、一般の観客へは演劇は浸透していかないと思うのである。まあ、難しいのですが。