milo23の『何でも食うよ。』

2020.5.25から再開。独白を綴っていこうかなとか思ったので。

水性音楽「オーバーグラウンド+新世界」 in 麻布ディプラッツ

いつもはバイトで回っているエリアを2人揃って歩く。時間ギリギリであったが東京タワーの見えるいつもの公園で軽く食事。すぐに劇場へ。思ったより客が入っていないので座りやすい。
芝居が始まる。これがなんとなく始まった。嫌な予感がした。そういえば嫁さんは入ってそうそう「ここ、すぐに出れるの?」と聞いて来た。その時は「なに言ってんの?」って思っていたが。。。
日常。とある大きなショップの休憩室であろうその場所に休憩しに来る人々。その日常的風景が延々続く。本当に"普通"な光景。おい!なにやってんの!!あきらかに作者の意図なのだが、突き合わされる方はたまったものではない。客席の集中力は次第に薄まっていった。うなだれるもの。あくびをこらえるもの。やたらと姿勢を変えるもの。。。
30分たった。我慢の限界に近かった。モノを投げたくなった。しかし、私はここの劇団の"本来の"カラーを知っているのでそれを見るまでは帰れない。そう思っていたら、やたらと俺の顔を覗き込んでいた彼女がおもむろに荷物を持ち、出口を目指した。
そう、彼女は帰った。
この判断はある意味、正しいと思う。なぜならば彼女には全く予備知識がないからだ。ましてや関西人だし、芝居嫌いだし。
ただ、もう5分我慢するか寝るという手段にして欲しかった。なぜならばここからが本番だったからだ。
この、本当に殺意すら湧いたながーい日常的風景が演出効果としては、本当に良いものとなった。
いきなり激しい音響とともにセットが崩れ、暗転。そしていつもの歌と踊りを交えたオープニング。ここからが本来の『水性音楽』なのだ。
あいかわらずのナンセンスギャグストーリー。その中に込められた人間の醜い部分をさらけ出すエゲツナイ演出。笑いながらも自分の汚い部分を見せられてるような非常に微妙な感覚。この世界観が私は大好きなのだ。が、嫁さんには見せられなかった。
私は悔しかった。裏切られた思いがした。自分がせっかく勧めて見に来たものだったわけだから、すなわち、俺自身の評価にも繋がるわけで、非常にそこが切なく悔しいよ。全部、見た上でならばいいのだが、そうではないのが本当に悔しい。オープニング以降は普通に見たらかなり面白かっただけに本当に残念だ。
最近、芝居を見る度に毎回、記入していることなのだが、これだから冒頭部分が非常に大事になるのだ。見る方のテンションが今回はここで完全に萎えた。
急におもいたったので、ここで今回の芝居の感想ではなく観客論を少し。

今回、嫁さんが帰ったことで気付いたことがある。芝居をやっている人たちは観客が途中で帰るなんてことは想像もしていないのではないだろうかと。
観客はお金を払い、好き好んで劇場という暗くて狭い空間にいる。というわけではない場合があるってことに気付いていない。
でも、小劇場から大衆芸能へと立ち上って行くためには、こういった"一見さん"たちを取り込んでいかねばならないわけである。
そういう意味で「緊張感」を持っていただきたいのだ。観客は「帰る」自由も「モノを投げる」自由もあるんだぜ。なぜなら「金を払って」「娯楽を」見に来ているわけだから。満足させられないのであれば何されても文句は言えないのだ。
要するにお客を良くいえば信用しているんだろうし、悪くいえばなめてるんだろうなぁ。どいつもこいつも。
小劇場って空間は"なれあい"で成立しているってことに気付かされたことに少なからずショックを受けた。
今回も話の核の部分は面白かった。それが、正当に届いていかないということに非常にジレンマを感じるしもどかしい。これがテレビだったならばチャンネルは変えられてしまうわけだ。もったいない。
作品を提供する以上、お客さんに甘えたり、頼ったりしては行けない。媚びても行けないのだろうが、見るほうのことを考えて欲しい。
どこかでもいったが、観客は日常を見るためにわざわざ金を払うわけではない。自分ではできないことやモノを見るために、日常から脱却したいがために、貴重なお金を支払って、足を運んでくるのだ。
小川直也が凄いのは、「ハッスル」っていう「プロレス」を広めるために、リアルファイトに挑み、しかも、きっちり勝利を掴んでいるという、誰にも出来ないことをいとも簡単にやってのけていることで、求心力を発揮しているのだ。
話はまったく逸れてしまったが、少なくともお金をとる以上はプロフェッショナル足り得なければならない。そのためには常日頃から、いろいろなことを想定し、常に高い意識で物事に当たらねばならない。演劇をいうジャンルの住人である私は、そのために観客としても、保身による甘い視点を捨てた。悪い意見は聞きたくないものだが、同時に聞かねばならない意見でもある。少なくとも私はそうだ。そうやって、役者として向上して行きたい。

『観客論』といったがなんだか良く分からん話になってしまった。
話を元に戻す。ここの劇団。いずれ出てみたいと思う。そして、身体でしっかり感じて来たい。なにかを残して来たい。なぜならこの劇団は近年ではめずらしく独創的であるし、可能性を非常に感じるからだ。次回公演、期待しています。お疲れ様でした!